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古河総合公園パーク・カフェ

古河総合公園パーク・カフェ
ニュートラルな立体格子を現実に空間化する点において、ル・コルビュジエ以上の「抽象」「強度」を達成しているのではないか。可能な限り薄い面 と、可能な限り細い線にまで還元された部材を組み立てることによって誕生した空間・建築が、浮遊感をもって、軽やかにそこにある。しかし、それは、脆弱ではなくて強い。そのなかを風が通 り抜け、視線が通って背景の自然とも融合しあいながら、さわやかに、かつ確かに、そこに存在している。
自らの目指す建築のあり方を、よく「ヒエラルキーがないこと、つまり、すべてが等価であること」「プラン、ディテール、材料において、序列がないこと」「構造と間仕切り、構造と仕上げを同列に、等価なものと考えること」と表現する。つまり、建築あるいは空間を構成する要素のすべてに、「ヒエラルキーがないこと」すなわち「等価であること」を求めるのだが、このことを徹底していくと、屋根は切妻屋根とか寄棟屋根といった特有の建築形態のみならず、たとえ平屋根であっても最低限そなえていたパラペットや天井懐の厚みのようなものまで剥奪されて、最後は薄い1枚の板になってしまう。薄い平面 である。同じように、壁も、柱も、古典的なオーダーとか伝統的な納まりからくる特有の建築的・装飾的な形態を剥ぎ取られて、単なる面 、線にまで還元されていく。床も屋根も壁も、みな同じ面となり、柱、マリオン、あるいは垂直方向のガラス留めも、すべて同じ線になってしまう。ここまで徹底的に抽象化されたとき、確かに、構成要素間にヒエラルキーがなく、まったく等価でもある状態が発生する。そして、直線と平面 を垂直・水平に組み立てていけば、そこにニュートラルな3次元の立体格子が浮かび上がってくることにもなる。
 この建物は、公園のなかの「あずまや」と言ってよいであろう。「あずまや」とは、散策の途中で休憩する、あるいは雨や強い日差しを避けて、いっとき留まる場所である。屋根(庇)があり、腰掛けるイス・ベンチが用意され、ほかには小さなテーブルが置かれることもある。すこし大きいものになれば、カフェがその一角を占める。ここでも、カフェを備えて、「パーク・カフェ」と呼ばれている。「あずまや」は公園のなかでは、その存在が分かるように多少目立たねばならないが、目立ちすぎてもよくない。公園の風景に溶け込み、同時に、その周囲をさわやかに、晴れやかにもする。「パーク・カフェ」は、まさにそういう建築である。
 全体は、長軸を東西方向に置いた直方体のヴォリュームである。25.2m×10.4mのフラットで薄い屋根と床、その間に100本ほどの直径60.5mmの細いスチール製円柱がグリッド状(ピッチは心々で1200mm)に立てられている。円柱は、高さは約3mで、床のスラブ(地上に見えている床は薄いが、厚さは270mmある)からのキャンティレバーによって自立している。ただし、この円柱は、グリッドの交点に必ずというわけではなく、189のうちのほぼ半分の交点にランダムに立てられている。その間の、ところどころに出てくる円柱のない場所は、柱に邪魔されない開放的な利用に欠かせない。そして、床も屋根も円柱もすべて白である。だから、この「パーク・カフェ」は直方体のヴォリュームの上面 と下面が白で、その両者を無数の白い線が結ぶという、ニュートラルで、抽象的な立体彫刻のように見えるのである。
 われわれの印象を決定的に支配するのは、この抽象的な立体彫刻を思わせる形態であり空間である。これを鮮明に見せる目的のために、その他の構造と材料に関するすべての問題が処理されたといっても過言ではない。
 たとえば、薄い屋根スラブをどうつくり、細い円柱をどう立てて、屋根スラブとどう接合するかと考えなければならなかった。いくら多くても細い円柱だけでは、建物はもたない。よく見ると、4箇所にバランスよく、水平力を負担する78×1260mmの耐震壁が配されている。だが、その表面 にはステンレススチール板が張られて鏡面に仕上げられ、周囲のさまざまな風景を映して、それ自体の壁としての重い物質性を、その存在そのものを、消そうとしている。
 また、さらに目を凝らすと、ガラスのウォールとスライディング・ドアで四周をかこまれた正方形プランのカフェが、林立する円柱群のなかに設けられていることに気づくであろう。とくに冬風の冷たく厳しいところで、カフェは室内化する必要があった。この正方形は、東側に偏在させて、東側に狭いオープン・テラス、西側に広いオープン・テラスをとっている。温かくなれば、スライディング・ドアを開放して、全体をオープン・カフェとして使うことも可能だ。囲い込みのためのガラスの壁は、まさに必要最小限の範囲で、その存在を認められているのである。
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マルチメディア工房

マルチメディア工房
岐阜県立国際情報科学芸術アカデミーでは、アーティストが滞在しながら作品を制作し、その過程を含めて学生や一般の人に公開するという、アーティスト・イン・レジデンスと呼ばれる試みが行なわれている。しかし廃校になった中学校を転用した鉄筋コンクリート造の校舎からは、そんな新しい試みが行なわれていると想像することは難しい。周辺も、農地に虫喰い状に建物が散在するような、まさに風景の崩壊過程のような郊外である。そんな環境に対してこのマルチメディア工房は依存するでもなく、無視するでもない絶妙なバランスで出現している。
 同じ作者によってデザインされたアクリルの校門を越えると、芝生の広場の向こうに、中央が窪んで地面すれすれに浮かぶ薄い屋根が見える。窪んだ屋根の先にはコンクリートのステップが置かれているものの、入口らしいものは見当たらない。実はこの屋根が建物の導入部なのだ。屋根の上には内部へ降りる階段が2本設けられているが、それらは屋根に切り込まれているので下からはほとんど見えず、手摺のエキスパンドメタルは弧を描いて遊具のようだ。校舎側の入口も、地面に切り込むスロープとして地中に消失している。大きく跳ね出した屋根の下から芝生で覆われた地面までは、いわゆる基壇無しにサッシレスの強化ガラスがはめられている。このガラスと地面の関係は衝撃的で、そこには雨仕舞や蹴られることを心配した古い秩序感はない。ガラス越しには、半地下の内部回廊に面したスタジオやアトリエの扉の開閉が映されている。つまりこの建物では建物の「顔」を成立させるファサードとそこに穿たれた入口や窓などの記号的な要素は排除されている。この現われ方は全く独特だ。

この建物が、顔を持ったファサードを持たないことや、かといって完全に地面に埋められていないことは、日本のどこにでもある茫漠とした風景の中に建つという難問に対する設計者の解答と捉えている。それは茫漠とした風景を、ファサードによって強引に都市的な環境へと翻訳する地方の公共建築にありがちなあり方ではないし、土盛で偽装して自然なランドスケープへと翻訳する消極的なあり方でもない。ここでなされているのは、理想化された状態へと環境を解釈することではなく、即物的に見いだせる周辺環境との関係の中に建物を組み込むことだ。例えば、広場の端にあるポプラ並木は、この建物がそれと平行に置かれることによって、水平で低いこの建物の対比的な背景として再定義されているし、既存校舎との距離や建物の沈み具合は、入口スロープの長さ、搬入口スロープの長さ、上からの視線などの相関関係によってぴたりと決定されているようだ。このようにこの建物は周囲の物理的な環境を定義し返すことで、茫漠そのものに踏みとどまろうとしているのではないか? それは、流動的な現代の環境においても建築が実体であらざるを得ないことを考えれば、この場所に限らないグローバルな問題意識といえる。
1.8m地下に沈められた建物内部は、中庭型の修道院を裏返したように、同心に重ねられた2つの正方形の外周部分が回廊となっている。この箱がガラスの服をまとったような入口の構成は、内部空間を構成するロジックと、外部環境の特定の要因が短絡することによって、あたり前の内部と外部の関係が形成されてしまうことを回避している。屋根の上から階段を降り、扉を開けるとすぐに回廊で、いわゆるエントランスホールのようなものはない。この回廊は白い壁とガラスに挟まれ概ね均質であるのに対し、内側にある正方形はストライプ状に分節され、外部で認められた屋根の緩やかな湾曲を異なる天井の形状へと断片化し、プロポーション、光、温度ともに異なる環境を作り出している。スタジオ、アトリエ、サロン、光庭、階段などの機能は、これらの物的な形式性による空間の差異に合わせて事後的に決められたかのようだ。またサロンのビロード貼はバーを、アトリエのOSBは工場や倉庫を、屋根のゴムチップは運動場をそれぞれ連想させるように、素材の持つ連想作用がそれぞれの場所の差異を強めるように用いられている。つまり、素材、天井高、壁間距離等を媒介変数とする操作によって、各機能単位までもただのストライプ状の空間形式へとインテグレート(吸収統合)されているのだ。構成されるべき機能単位を初めに設定するこれまでの計画手法に対して、物的な空間の形式による差異の生成が、まさに機能の分節化にシンクロナイズする瞬間を捉えたような建築空間が成立している。それはレトリックかもしれないが、機能が空間の根拠であるという因果性、決定性を越えて、それと同時に機能の根拠が空間でありうるという双方向性、流動性を十分に表現するような空間である。

このようにこの建物は、ファサード、入口、エントランスホール、機能単位といった、差異が求められる部分を、全体の一貫した構造の中で相対的に再定義し、その記号性を消失させてしまうという、ある意味で最も現代的な方法によってつくられている。しかもそのことが『マルチメディア工房』という前例のない施設の計画において実現したことに、私は流動的な現代社会における 建築のあり方の核心を突くような、最高の建築的パフォーマンスを見る思いがした。

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熊野古道なかへち美術館

熊野古道なかへち美術館
田辺市立美術館分館 熊野古道なかへち美術館(たなべしりつびじゅつかんぶんかん くまのこどうなかへちびじゅつかん、Kumanokodo Nakahechi Museum)は、和歌山県の熊野古道中辺路の近露近くの山々に囲まれた谷間に建つ近代的な公立美術館である。

日本画家・野長瀬晩花と南画家・渡瀬凌雲の作品を中心とする郷土ゆかりの日本画家作品など1000点以上収蔵し、展示している。

建物は、光が放出しているガラス箱のような特徴的な外観である。館内は展示室を囲むように回廊があり、裏側に休憩コーナーがある。回廊とロビーは全面ガラス張りになっているので、そこで古道の美しい風景を眺めて過ごすこともできる。古道を歩く人々が気軽に立ち寄れるスポットである。

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